寧夏霊武市の「明の長城」:寧夏大学日本語科4年生(12級)黄 成会
 中国の万里の長城を知らない人はいませんが、寧夏回族自治区霊武市の「明の長城」を知っている人はめったにいないでしょう。
 歴史資料によると、霊武市は昔は霊州と呼ばれ、歴史上の辺境の軍事要地で、秦・漢・隋・明の各時代の治者は霊州に長城を建てたそうです。中でも「明の長城」は保存状態が一番良く、雄壮で、迫力があります。この「明の長城」は明成化九年(1474年)、北方遊牧民族の激しい攻撃を防ぐため、霊州清水営堡から花馬池(現寧夏回族自治区塩池県)を通って、陝西省まで建てられたそうです。全長は約200キロメートルで、そのうち、霊武市に現存している「明の長城」は約45キロメートルです。この「明の長城」周辺では、西北地域特有の自然の景色を見ることができます。
 私の故郷は重慶です。一年中暖かくて、雨が多いから、森林面積が広いです。寧夏のような黄土や荒地は滅多にありません。このような西北地域の景色を自分の目で見たかったので、学校のアウトドアクラブに参加して、先生やクラスメートと一緒に「明の長城」に行きました。
 学校のアウトドアクラブは学生の集団意識を強めることを目的として、「明の長城」に「登城」活動を行いました。また、登る前にAとBの2チームに分かれ、チームメイトの間の団結意識やライバルとの競争意識を養うため、どちらが早くゴールにたどり着けるか勝負することにしました。
 Aチームは「明の長城」に実際に登る、Bチームは「明の長城」の下を歩くことにしました。このゲームは、初めに聞いた時はとても簡単に思えましたが、いざ実際に競争する段階ではそう簡単にはいきませんでした。二つのチームはそれぞれの不利な条件と困難に直面しました。
  「明の長城」の壁は長い年月を経て、風雨にさらされて風化し、その上、地元の人の破壊で多くの部分が崩れています。そのため、長城の上の部分は坂が急で、歩きにくいです。長城の下は平らですが、生えている草が多く、道がまったくありません。それで、チームメイトが協力し合わなければ、勝利はもちろん、ゴールにたどり着くことも難しいです。結果は、私が参加したAチームが負けてしまいました。でも、皆力を合わせて、一所懸命ゴールに至ったことは、喜ばしいことでした。実は、勝つかどうかは私たちにとって、一番重要なことではなかったです。皆が手をつないで、最後まで頑張ることが大切でした。
 私は烽火台に立って、長い「明の長城」を眺めて、以前の労働者の知恵に感服しました。「明の長城」は運送用具や先進的な技術がなかった時代に建てられました。不利な自然条件下、全て現地で原材料を入手して、黄土で築かれたのです。労働者の知恵と血と汗の結晶だと思います。






ページのトップへ戻る