■1949年以降の農村における土地制度の変遷が砂漠化に与えた影響
*樊勝岳 張卉(中央民族大学)

 土地の砂漠化は重大な生態環境問題であるだけでなく、中国社会経済の持続可能な発展にとっても非常に深刻な問題である。1968年、ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)の「共有地の悲劇」という論文が雑誌『Science』に発表され、共有制度により引き起こされた環境退化という「共有地の悲劇」を通して、制度が生態環境治理に与える深刻な作用が人々に認識されるようになった(1、2)。1949年以降、中国の農村土地制度は数回の重大な変革を経験した。それぞれの段階の土地制度が土地の砂漠化に対しどのような影響を与えたかは慎重に検討するべき理論問題である。このことは今までの生態政策を再検討し、生態治理制度の刷新を促進するために、非常に大きい意義を持っている。

1 農村土地集団所有制が土地の砂漠化に与えた影響
 1949~1978年、中国は徐々に土地集団制を実施し、「食糧を綱領とする」方針や、集団化によって農業と農村経済を発展させる道を選んだ(3)。このような制度は農民個人の自由を制限し、しかも農民に属する生産手段を強制的に奪うこととなり、基本的な農民の利益を損害し、国家の目標と地域住民の目標の摩擦という結果をもたらした。よって、巨大な消極的作用が生じ、土地の砂漠化に大きな影響を与えた。特に中国の旱魃・半旱魃地域及び一部の半湿潤地域において最も顕著であった。

 1.1政策引導作用からみる土地制度改革が砂漠化に与えた影響
 改革開放以前、「食糧を綱領とする」政策が農業の発展を常に主導していた。このような政策の下、草地は“農業のため開墾してもいい荒地”と認識され、西北部の内モンゴル、新疆、青海などで多くの国営農場が作られた。多くの豊富な天然草地が大規模に開墾されたことによって、多くの草地が失われ、その半分以上は砂漠となった。特に1955~1956年、1958~1962年、1970~1973年の三回の大開墾により、大規模の草地が砂地になった。研究結果(4-6)によると、中国北部における過剰な農業開墾に起因する砂漠地の面積は約11,735km2で、砂漠地面積の23.3%を占める。これらの砂地は、主に内モンゴル烏蘭察布市(ウランチャブ市)の後山地区、渾善達克(フンサンダク)砂地の南部、科爾沁(ホルチン)草原、および鄂爾多斯(オルドス)草原中部と西南部などの地方に分布する。内モンゴル伊金霍洛(エジンホロ)旗では、1959~1960年の農業開墾による砂漠化増長率が533.33km2/年に達した。呼倫貝爾(フルンベア)地区の磋崗(サガン)牧場では、開墾された525万haの耕地のうち、深刻な砂漠化面積は39.4%に達した。科爾沁草原科爾沁左翼後旗西部の後中長一帯では、農業開墾によって深刻な風蝕を受けた土地面積は1950年代の55.2%から1970年代中期には70.5%に拡大した。科爾沁草原西部の赤峰市では、17年間に渡る農業開墾のため、深刻な土壌風蝕面積が1958年は10,820km2であったが、1975年には17,838.7km2、1984年には21,139.3km2となり、砂漠面積は64%増えた。旱魃草原地帯の烏蘭察布市後山地区の砂質波状平原及び緩丘は、開墾から30~50年後、深刻な風蝕地の面積が開墾総面積の43%に達した。草原と荒漠草原地帯である鄂爾多斯高原中部の独貴加汗一帯では、農業開墾により1968年の風蝕面積が1956年より13%増加した。荒漠草原地帯の烏海(ウーハイ)市海勃湾区周辺では、農業開墾により1977年の風蝕面積が1958年より35%増加した。特に1958年の大躍進時期の大開墾により、共和塔拉(ゴンハタラ)だけで10.7万ha以上の荒地が開墾され、大面積の砂漠地になってしまった(5)。具体的な条件を考えなければ、長期に渡る「食糧を綱領とする」政策により、中国北方牧畜区草原では、1960年代中期から1970年代中期まで大規模の開墾が行われ、農牧交差地域及び旱魃農業地域における土地の砂漠化が急速に拡大した。例えば内モンゴルの科爾沁草原左後旗では、砂質砂漠化地が1950年代初期には土地総面積の13.7%であったが、1970年代末には30.8%を占めた(7)。
 農牧交差砂漠化地域において伝統的に形成された、過渡的な自然条件に比較的適応する牧畜業と栽培業からなる経済構造は、次第に単一の食糧生産に変った。不完全な統計ではあるが、内モンゴル自治区の1978年の耕地面積は1948年の約2~3倍に拡大したが、例えば烏蘭察布盟の五つの旗の耕地面積は1949年~1978年の間に40%拡大しているというデータもある。波状起伏の砂質草原はほとんど全て砂州と山の斜面からなる田畑になり、そのうち農耕に適した砂地はわずか22%で、残りの多くの部分は、土層が薄い土地、勾配が15°に達する斜面、及び風蝕されやすい土地である。伊克昭盟砂区の耕地面積は、最大時には50万haに達し、解放前より2.6倍増加した。また、哲里木盟の坨甸相間(塊になった土と放牧地が交わって存在する)という地域の耕地面積は1949年の3倍に増加した。当該地域内の奈曼、商都、彰武など20余りの県の農業総収入の構造比例をみると、栽培業約62%、牧畜業22.5%、林業4.5%、副業11.0%であり、栽培業が主な産業であるという特徴を表した。これと対応する農業労働力分配の面では、栽培業が80%を占めるのに対し、他の牧畜業、副業はわずか20%である(7)。

 1.2 農民個人の行為からみる土地制度改革が砂漠化に与えた影響
  高級農業生産合作社と人民公社の設立に伴い、土地集団化の程度は徐々に高まり、農民が所有する5%未満の自留地が集団に徴収される場合さえあった。中国の農民が数千年以来保ち続けてきた、家庭を基本単位とし、入念な耕作を行い、自給自足を主な経済特徴とする西安方式は、数年という短い間に完全に覆された。しかも、大規模な合併を通して成立した人民公社には、多くの致命的な問題、例えば、公社の経済基礎が薄弱であること、公社の規約制度における効果的な労働動機の不備(労働によって得られるものがない)、公社・社員間の利益関係の不正、社員が備えるべき思想準備と管理経験の不足等が存在していた。このような状況で、農民が自分の労働量と経済利益に関係がないことを知れば、労働に対する消極性が生まれるのも無理はない。
  一定面積の土地に投入される労働量が減少したため、土地の産出量が下がり、農業経済全体の衰退や国の食糧供給の減少をもたらしただけではなく、農民の収益も大幅に減少した。当時、収穫が少ないという問題を解決するためにはより大面積に作付けするという方法しかなく、集団化農地の面積は拡大した。農民は政府以外の独立した行動主体として、強制的な集団労働の下で、個人の利益を獲得するため、私有地を隠し、密かに耕地を開墾し、牧区に移り、違法で漢方薬やファーツァイ(髪菜)を掘り出すなどの行為が発生し、これによって直接砂漠化の急速な拡大をもたらした。
  中国における砂漠化が最も深刻な西北地区を例(7)とすれば、農民に対して有効な労働意欲を高める制度が乏しかったため、栽培に対する情熱が下がり、共有の集団化農地への投入が減り、入念な耕作という農業伝統が失われた。耕地に施肥が足りず、収穫時の適当な土地の保護措置や基本的な設備建設もなかったため、耕作地の地力は急速に下がった。烏蘭察布盟後山地区における原土層の有機質の含有量は一般的に2%~3.5%、窒素0.09%であるのに対し、旱作耕地では現在有機質0.3%~0.6%、窒素0.03%まで減少し、もともと地力が弱い土地がさらに痩せてしまった。烏蘭察布盟商都などの場所を例(7)とすると、1954~1958年の生産量が750kg/haであったのに対し、1980年にはわずか355.5kg/haとなった。土壌の地力の低下は栽培面積の拡大という方法で補われたため、荒廃させながら植えるという経営方式によって土地の生産潜在力がさらに下がるという悪循環をもたらし、砂漠化は急速に拡大した。

2 農村における土地使用権分配制度の改革が土地の砂漠化に与えた影響
 2.1土地使用権の分配と最適化
  1980年代初期から盛んになった農村改革は、中央計画経済から自由市場経済への転換というとても長い複雑な行程を歩み始めた。人民公社が解散し、公社の土地使用権が改めて農家に分配された。人民公社は家庭を基礎とする請負制に替わり、農民は多く働けば多くの利益を得られるという自由を得た。農民は土地を借り、その土地の使用権を再び貸出或いは相続することができる。当初請負期間は5年であったが、その後25年に延び、数年の試行期間を経て1993年にはさらに30年延び、55年となった。
  初期の農村土地制度改革が成功したため、請負は農業のために土地を使用する正式形式となり、その後林業や牧畜業の領域にも用いられるようになった。「草原法」が1985年に発効し、牧場請負制度が法律になったことから、国家や集団の牧場使用権を長期的に牧畜民に譲ることが確定した。
  家庭請負責任制が確定されてから、農民は経営権と収益権について個人財産権形式を得、家庭という基本的な組織形態が損失・利益の内生要因として有利であったことから、労働動機もはっきりとしてきた。農民は自分のために経営し、損益について自分で責任を負うようになり、生産の積極性が高められた。「国家と集団の任務を全うすれば、残りは全て自分のもの」ということばが通俗的にこの制度の特徴を表しているように、農民の労働成績と効率は貢献と結びつけられ、契約を実行する際のコストを下げた。しかも、家庭請負責任制は中国の農村が数千年続けてきた家庭・小農経済という伝統的な非正式制度と符合していたため、最初の段階から著しい成果を上げ、農村経済の発展を促進した。統計によると、1978~1984年の中国の農業総生産額は年7.7%の成長率を保ち、1982年、1984年等には10%を超えることもあった。人民公社制度下の成長率2.9%と比べると効果は著しい。農民生活消費水準は年7.3%の成長で、長期に渡る成長低迷期が終わりを告げた。1985年以降、土地家庭請負責任制の最適化に伴い、農家が完全な経済行為単位となる特徴、即ち経済利益の最大化とリスクの最小化を求めるという特徴が次第に明確になった。農家の兼業化と非農化は、経済利益の最大化とリスクの最小化のバランスをとってきた結果である。

 2.2砂漠の治理と拡大
  1978年に開かれた中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議以降、中国は相次いで“三北”防護林建設工程等一連の砂漠化防止に関わる大型生態建設プロジェクトの実施を始め、さらに1991年からは初の砂漠化防止を主な目標とする全国防砂治砂プロジェクトを正式に開始し、砂漠化を局部範囲内に抑えることに成功したが、砂漠化の拡大は減速していない。1950年代以降、中国の砂漠化は絶えず加速し、拡大している(4、5)。1950年代末~1970年代半ばの平均的な砂漠の拡大速度は1560km2/年で、砂漠化面積の年増加率は1.01%であった。1970年代半ば~1980年代半ばでは年に2,100km2拡大し、年増加率は1.47%であった。1990年代半ば(6)、砂漠化面積は160.7万km2に達し、国土面積の16.74%を占め、拡大速度は2,460km2/年であった。
  砂漠化の加速拡大に伴い、突発性風砂災害(砂嵐)の発生が頻繁になった。統計によれば、中国北方における大規模な砂嵐は、1950年代に5回、60年代に8回、70年代に13回、80年代に14回、90年代に23回発生した。砂嵐は直接西北地方と華北地方に危害を与え、さらに中国南部や東アジア全域に影響を与えており、深刻な環境問題(5)になっている。新たな土地制度にも、砂漠化を促進するという矛盾が存在している。

 2.3 農戸の行為が砂漠化に与える影響
  家庭請負責任制が確立してから、農民は自身で経営し、損益について責任を負うようになり、生産の積極性が十分に引きげられた。しかし中国は人口が多く、一人当たりの土地面積が少ない。また、耕作は連続的な耕作だけでなく輪作や間作も必要であり、地力を高めなければ連続的な耕作を続けていくことはできない。中国の多くの地域、特に北部の砂漠化地域では、政策によって決められた土地の請負期間は15年・30年であっても、実際には不定期・不規則の土地の調整が頻繁に行われる。加えて、行政役人の交代や人口移動等の原因により、農牧民の土地の数量、質、境界、場所などが変化する可能性がある。このような状況では農牧民の予想収益が十分に保障できず、理性的な投資者が土地への投資か備蓄かの選択に迫られた時、妥協的な行動をとり、多額な投資をしてもすぐに利益が回収できないような場合、土地の肥沃化に対する投資をやめ、盲目的な開発と略奪式の経営方式を採用する。例えば、内モンゴルの耕地と栽培面積はそれぞれ1978年の532.6万km2、482.4万km2から、1998年の722.39万km2、602.7万km2までに増えており、それぞれ30.53%と20.50%の増加である(8)。特に1997年と1998年の2年において(9)、内モンゴル東部の34旗(県)で開墾された草原の面積は97.3万km2に達した。計画では、1999年の内モンゴル東部の4つの盟で、継続して開墾される草原面積は140.0万km2であった。草原開墾は砂漠化の拡大に隠れた危険を孕んでいる。
  中国の天然草地面積は400万km2で、国土総面積の41%を占める(10)。1980年代以降の草地からの過度の資源搾取により、草地の地力が回復できず、草の産出量が減少し、草地の被覆率は下がりつつある。統計によると、現在全国の90%の草地は既に退化或いは退化の過程にある。中度の退化状態にある草地面積は国内の草地総面積の三分の一を占める。西北地区は中国の主要な牧畜業生産基地(全国の五大草地牧畜地域の四つは新疆、青海、甘粛、内モンゴルに分布)で、各種の草地面積は全国草地面積の42.60%を占めるが、近年では草地の退化も深刻である(11)。寧夏、陕西の半旱魃地域においては、約90%~97%の草地で退化が起こっている。甘粛、新疆、内モンゴル等の省・自治区では、退化が起こった草地面積は42%~87%で、しかも年に200万km2の速度で拡大している。水と草が豊かだと言われている呼倫貝爾草原と錫林郭勒草原でも、退化草地の面積はそれぞれ23%と41%で、退化が最も深刻な鄂爾多斯草原では68%の草地がすでに退化した(6)。草地の生態環境は、当該地域の経済環境建設や経済発展と密接に関係しているだけではなく、中国全体の環境の発展変化や経済の協調発展に対しても無視できない影響を与えている。
  生態退化がもたらした砂漠化の蔓延という現実は、土地使用権の分配制度計画が農業経済の発展と生態保護という二重目標を共には達成できない(16)ことを表している。土地使用権の分配は生態保護の必要条件であるが十分条件ではなく、これだけではその土地の生態を十分に保護することができない。

3 現行の土地使用権分配制度の生態補償政策が砂漠化治理に与える作用
  政府と農家の生態治理政策の実施目標は異なっている。政府が生態環境治理コストの最小化と生態環境改善の最大化を求める一方、農牧民は生産要素投入コストの最小化と経済収益の最大化を求める。できる限り両者の目標を一致させることこそが、生態治理政策の成功の出発点となるはずである。そこで、「点上治理、面上拡大(個別を治理しても全体では砂漠化が進行する)」という状況において、補償方式を用い、生態を建設・保護し、砂漠化を抑制するという一連の環境退化問題の道筋が生まれた。

 3.1 生態建設補償制度の実施
  現行の生態建設補償政策は、主に退耕還林、退耕還草、天然林の保護、三北防護林建設、京津風砂源治理・水源治理等の重大な生態工程プログラムの実施において体現されている。主な特徴としては、政府と市場という二重構造を採用し、農民の生態建設への協力に対する補償の実施である(12-14)。退耕還林(草)工程の例をあげると、工程期間2000~2010年、総投資3500億元、実施地域全国22省市の予定で、退耕還林面積530万km2、植林に適した山地での造林面積800万km2、水土流失抑制面積360万km2、防風治砂面積7000万km2という目標を10年間で達成する見込みである。この目標を実現するために、中央政府は政策、資金、物質などの方面で今までにない援助を提供した。退耕還林工程の補償では、退耕農民と地方政府の両方に補償が行われる。退耕農民に対しては、米や穀物、苗の費用、管理補助費用などを提供し、地方政府に対しては、退耕還林によって減少した財政収入を中央政府が移転支払の方法で補償する。2004年9月までに、中央政府は退耕還林工程に751億元を投資し、そのうち米・穀物補助541億元、種苗費補助147億元、生活補助63億元であった。中央政府による工程全体に対する投資は総計1800億元に達する見込みである。

 3.2生態補償政策が砂漠化治理に与える作用
  生態補償政策を開始した後、中央政府は、林業重点工程、草原保護と建設工程、水土保持項目、内陸河流流域総合治理項目等6つの防砂治砂に関する工程プログラムを実施し、また「防砂治砂法」を中心とする法律と政策体系を確立し、農民に有利となる一連の治砂政策を作り出し、防砂治砂の順調な進展を目指した。
  国家林業局が2005年6月に発表した「中国砂漠化と砂漠化状況公報」のデータ①によると、2004年の全国砂漠化面積は173.97×104km2で、国土総面積の18.72%を占め、主に新疆、内モンゴル、チベット、青海、河北、陕西、寧夏の8省に分布し、面積はそれぞれ74.63万km2、41.59万km2、21.68万km2、12.56万km2、12.03万km2、2.40万km2、1.43万km2、1.18万km2で、8省の砂漠化面積の合計は全国砂漠化総面積の96.28%を占めた。
  流動砂丘(地)面積は41.16万km2で、砂漠化総面積の23.66%を占め、半固定砂丘(地)は17.88万km2、15.79%、ゴビは66.23万km2、38.07%、風蝕劣地(残丘)は6.48万km2、3.73%、砂漠化耕地は4.63万km2、2.66%、露砂地面積は10.11万km2、5.81%、非生物工程治砂地面積は96km2であった。
  1999年に測定された同範囲内の砂漠化面積と比べると、砂漠化面積、流動砂丘(地)、半固定砂丘(地)はそれぞれ減少しており、その減少はそれぞれ、6,416km2(年平均1,283km2)、15,651km2、23,098km2であった。固定砂丘(地)は反対に増加し、増加は33,265km2であった。

 3.3生態補償制度が有する問題
  中国は生態補償に対し様々な努力をしているが、実践中も主に以下の方面で問題が発生している。政府主導による行政運行方式(三北防護林工程)であれ、政府主導による市場運行方式(退耕還林工程、森林生態効益補償基金)であれ、本質的には一種の取引行為である。取引主体は農民と中央政府であるが、両者の間に、地方政府が工程の実施執行役として、地方基層政府(おもに郷村政府)は農民を代表して上級政府と協議するという供給者役と購買者役の2役として関わる。このような政府主導による運行方式で最も重要なのは、関連政策と法規の制定過程に関連農民が十分に参与していないにもかかわらず、農民の生態サービス(この場合は保護)行為が実際には一種の取引となっている点である。
  しかし、政府主導の生態建設工程では取引意識が乏しいため、取引としての手順が踏まれず、基層政府の役割の曖昧さと行政運行の慣性が巨大な作用を発揮するため、財産権(土地の使用権・産出権)を判定する際に発生する取引コストは低いが、各農民への管理地の割り当て及び生態工程の持続可能な発展には不安を残している。政府と市場及び利益が関わる各方面の錯綜した複雑な関係を整理することは、生態補償を実施するための前提であり基礎である。

4 結論と今後の課題
  中国の砂漠化面積の拡大と減少は、農村土地制度の変遷と密接な関係にある。制度要素が砂漠化防止に与える影響を重視すべきである。
 (1)集団所有の土地制度は、有効な労働動機に乏しいため、長期的に米や穀物の供給が不足状態になる。食糧の不足は広範囲の開墾をもたらし、砂漠化の急速な蔓延につながった。これは財産権制度公有化の状況で、生態サービスが公共財とされる場合に必ず生じる悲劇的結末である。
  現実が表しているように、農村の土地使用権分配の制度方針は、経済発展と生態保護という二重目標を達成することができない。土地使用権分配だけでは、生態保護と生態建設の達成は程遠いのである。生態退化の要因には、更に深刻な経済的要因と社会的要因がある。農家経済予測、家庭生産固定支出及び農家世帯のライフサイクルも土地の過剰開発に重要な影響を与える。
 (2)砂漠化地域の農村経済主体は農家であり、国の生態保護政策は農家の行為を通してこそ作用を発揮する。農牧交錯区砂漠化地で実施した退耕還林還草は、100kgの食糧(米・穀物)と50元の種苗費の補償があるため、農民の生態治理に対する積極性が引き上げられ、退耕還林を実行した地域では、植生がある程度回復された。しかし草原地区の禁牧には失敗しており、有効な補償措置と監督措置が足りないため、多くのの農戸は隠れて放牧している。
  目前の生態補償政策の実施過程では、生態と資源財産権との関係の不明確性がもたらす取引コストの上昇という問題は、行政管理資源の方式であれ、市場化メカニズムであれ避けられない。政府職員の権利を求める行為を抑えながら、同時に基礎コミュニティ(基層政府)が市場・政府間の連絡機能を発揮し、市場メカニズムが資源配置に与える有効な作用を利用して農家の利益を保障し、有効な生態補償制度を確立することは今後議論すべき課題であり、砂漠化治理には制度の刷新が必要である。

 注釈
 ①≪2005中国荒漠化和沙化状况公报≫本文中の2004年及び1999年の砂漠化データは全てこの資料のもの。
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 樊勝岳、 張卉(中央民族大学 経済学院)
 ≪干旱区地理≫2009年3月(第32巻 第2期)P268-273