打工妹(都会へ出稼ぎに来た女性)との出会い
 2012年の中国の伝統的な旧正月がいよいよ近づいてきた。家の大掃除をしようと思って、友達の紹介で一人お手伝いの人―甘粛省から来た「打工妹」が家に来た。彼女は20代くらいのスマートで素朴な姿であった。私にとって一番辛い窓拭きを彼女に任せたが、私の家は15階なので、「あまり綺麗に拭かなくてもいいわ。一番肝心なのはあなたの安全問題で、安全は第一ですよ。」と言った。彼女は「はい、分かりました。」と答えて、拭き始めた。最初はお互いに気づまりな感じで、それぞれ自分の担当の仕事を黙々とするだけで、話が少なかった。

 2時間ほど経って、お茶を入れて休憩しようと彼女を呼んだ。二人でテーブルを囲んで座り、陝西省北部の有名なお菓子である「炉鏌鏌」を食べながらお茶を飲んだ。私はいろいろと彼女に質問してみた。「どこの出身?」「甘粛省の平涼市の泾川県です。」「いつ、銀川市に来たの」……。名字を「麻」という彼女は、農民出身で、16歳の時に単身で銀川市に出稼ぎに来て、家政婦として2年半ほど子供の面倒を見ていた。19才の時、故郷へ帰って隣の村の農民の青年と結婚した。結婚後の3年間は、夫婦で農業をしていたが、耕地が2ムーしかないから、農業だけでは生活が豊かにならないため、四年目に農業をやめて、蘭州市へ出稼ぎに行った。しかし、蘭州には慣れることができず、銀川市に再度来ることにした。彼女は今30歳で、ご主人は銀川市の広告会社に勤めており、給料は会社の収益によって決まる出来高制である。夏は仕事が多いので、7、8千元の月給がもらえるが、冬は2、3千元ぐらいである。彼女は家政婦として「鐘点工」(毎日、時間帯を決めて家事を手伝うこと、パート)で働いている。7歳の息子と3人でゆとりのある生活を送っていること等を教えてくれた。「どういう理由で蘭州はあなたに合わなかったの?」と聞くと、「蘭州は衛生環境が良くないから。比べると銀川は綺麗ですし、空気も爽やかです。銀川が好き!」と言ってくれた。「あなたの故郷は寧夏の固原市に近いので、固原あたりのこと知っていますか。」「もちろん知っていますよ。主人の弟の妻は固原の出身で、彼女からよく固原の話を聞きました。あそこは水不足で、雨が降らなければ農業どころか、飲み水もないから、大変ですね。あそこは退耕還林プロジェクトを実施しているので、生活はだんだん豊かになってきたそうです。しかし、水がないために、彼らの生活習慣はよくないのです。例えば、主人の弟の妻は家の掃除をしないし、洗濯もあまりしないから、とても汚い。水がないので、悪い習慣がついたというよりも、むしろ怠け癖だと言ったほうがいいかもしれないけど。私は彼女と違って、汚いと寝られないから、よく掃除するし、洗濯もよくするから、家族3人の生活はとても幸せです。」
 彼女の話し声はだんだんん大きくなり、興奮してきた。「もし、あなたが年をとったら、どうするつもりですか。ずっと銀川に住むつもりですか、それとも故郷に戻りますか」。私の質問を聞いて、彼女はすぐに「故郷に帰ります!」と答えた。「私は 農業が好きです。自分が無農薬生産でつくったトマトや茄子等の野菜や小麦はとっても美味しいんですよ!身体にも安全だし、都会ではなかなかそういう新鮮で美味しい野菜や穀物が食べられません。家の井戸から出た水も美味しい!都会の水は何か変な匂いがすると思うんです。」「息子さんも連れて帰るんですか。」「いいえ、息子にはずっと都会に住んでもらいたい。当時、家の生活条件が悪かったので、私は小学校しか行かなかったから、できるだけ息子を大学に行かせたい。もし、大学進学できなければ、何でもいいから、自分の好きな仕事をすればいい。とりあえず、都市出身の人と同じように生活してもらいたい。そのために、私は一生懸命働いてお金を貯めて、銀川で家を買おうと思います。」……。また、驚いたのは彼女が非常に流暢な標準語を使っており、少しも地方の訛がなかったこと!午後3時に大掃除が終わって、彼女は帰っていった。

 その後、甘粛省平涼出身の「打工妹」の彼女の話を何回も繰り返し考えて、私なりに以下の「六つの変化」をまとめてみた。①清潔な生活習慣と良い生活環境を追求するようになった。②勤勉で生活を豊かにさせようと思うようになった。③視野が広くなり、文化知識が増えた。④身体の健康に気をつけるようになった。⑤子供の教育を重視し、子供の出世を待ち望んでいる。⑥年配になったらやはり故郷へ帰る。これらは、西北部出身の「打工妹」の思想意識面での変化を代表しているだろうと思われる。

 中国都市化の進展につれて、現在、中国の農民工の人口が2億人を超えた。そのうち女性が3分の1を占めており、彼女らは都会に来て工場に勤める労働者や、家政サービスの保母、或は「鐘点工」として活躍しているが、都会の人々からは「打工妹」と呼ばれている。「打工妹」の文化生活を活発化するために、2011年の夏、上海において第1回中国打工妹「達人秀」歌大会が開かれ、全国各地から多くの打工妹が参加して、自分たちの風采を十分に表わした。その大会は、沿海地方の経済発達したところからの参加者が多く、西北部からの参加者は少なかった。これは地方経済と社会文化の発展と直接関係しているので、もし朗らかな性格や活発な思想意識と敏捷な反応などの優れた素質を有している彼女の出稼ぎ先が上海、北京、広州ぐらいの大都会であれば、すぐに周りの社会文化、生活環境に融合して、更に立派な女性になっていただろうし、おそらく中国打工妹「達人秀」歌大会にも参加したかもしれない。偶然の出会いだけど、彼女の素朴な笑顔、純粋な話、勤勉で真面目な仕事ぶりは、私に大変深い印象を残した。
(郭迎麗)

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