寧夏遙かなり ~昭和30年代へのタイムスリップ~

島根大学生物資源科学部・地域開発科学科
木原康孝

 2010年9月5日から13日までのわずか一週間でしたが、寧夏に行ってきました。これが、初めての中国と言うより、初めての海外でした。ここの教員で海外に行ったことがないのは自分だけだろうと、半ば意地になって外国には行かないと決意していたのですが、とうとう初体験となりました。行く前はいろいろ嚇されてビクビクしていたのですが、無事に帰って来ました。行きは、悪天候のため銀川空港に着陸できず、西安空港に一旦引き返して、再度、銀川空港に向かい、寧夏研究所に到着したのが夜中の3時といきなりの先制パンチで(でもよくあることだそうです)、着いた途端に帰りたくなりました。そして、初海外の定番どおり(?)、お腹の調子が悪くなり、井口先生から薬をいただいて、なんとかお腹をなだめながら乗り切ったというのが実情です。行く前から、伊藤先生から寧夏点描を書くように言われており、寧夏での私の惨状を見た一戸先生からタイトルは「寧夏遙かなり」でいきましょうと言われ、寧夏にいる時点でタイトルはできていたのですが、文章は帰ってきて半年後になってしましました。

 自己紹介をしておきますと、私の専門は「土」です。土の中で水分や物質がどのように動くのかということを研究しています。乾燥地の塩類集積は主要な研究テーマです。したがって、今回の調査で、乾燥地を見ることができることを楽しみにしていました。専門の話をすると、塩類集積を起こさせないためのキーワードは排水です。日本人は、「水は上から下に流れる」と考えていますが、乾燥地では土壌中の水分は毛管力によって下から上に動きます。乾燥地の農業でも、まずは水を持ってこないと作物は育ちませんが、その時点で排水のことまで考えておかないと、下方から上昇した水が塩類を表面に残して蒸発することを繰り返し、数年後には大地が白く覆われた塩類集積の状態となり、そこではもう二度と農業はできなくなってしまいます。持続的な農業のためには排水が重要であることは分かっているのですが、成果として目に見える巨大パイプラインシステムなどに比べて地味な圃場での排水は後回しになることが多く、世界各地で土壌劣化を引き起こしています。

 農村調査で南部の彭陽県(寧夏の中でも発展が遅れたところと言われています)の農家に行って驚いたのは、昭和30~40年代の四国の田舎によく似ていたことです。あたかも子供時代にタイムスリップしたかのような錯覚さえしました。家屋自体が農作業用につくられており、おじいちゃんからこどもまで家族総出で庭いっぱいに農作物を広げ、家では鶏や牛が飼われていて、どこからともなく子供たちの声が聞こえてくるという雰囲気を懐かしく思い出しました。また、どんな山奥の畑にも人がいて、農作業をしているのを見かけました。今、日本の農業は機械化され、田舎を車で走っていても圃場で農作業をしている人はあまり見かけなくなりました。中国の農村地帯を見て、機械化されないとその分だけ人間の労働力が必要だということをあらためて実感しました。最近、昭和30年代を懐かしがる風潮がありますが、ぬかるむ泥に足をとられ、涙をこらえて田植えをした少年にとっては、こと農作業に関しては、その時代に帰りたいとはまったく思いません。その故郷も、見かけるのは高齢者と耕作放棄地ばかりとなってしまいました。この彭陽県の農村地帯が数十年後に「そして誰もいなくなった」という日本のような状況にならないことを祈るばかりです。

 

ページのトップへ戻る