黄土高原で貧困と戦い、生態建設に取り組む人々

 寧夏回族自治区の南部は黄土高原の一部である。ここは南部山区と呼ばれ、西吉県、海原県、固原県など8県で構成され、通称西海固地区とも言う。 黄河のほとりにある銀川市は海抜約1,100 mであるが、南部山区は、平均海抜約2,000mである。古代の寧夏は森林、灌木林、草原に覆われ、特に南部は森林が密集していたといわれている。 シルクロード北路はここを通っており現在の固原市街地は交通、交易の要衝であったという。
 しかし、現在の南部山区の情況は、これとは全く違ったものである。平原は少なく山が多いが、森林を見つけることは難しい。 古代の名残りは、毛沢東の長征で知られる六盤山脈の一部の森林地帯に見られるのみである。
 10月頃までの農業可能な期間は、比較的緩斜面の山は山頂まで耕され、特に7,8月ごろの風景は、緑、黄、紫などさまざまな色の見事なまでのモザイク模様で、豊な穀倉地帯を思わせる。しかし、年間平均気温は7℃~8℃、冬は最低気温がマイナス25度以下にもなるので農業は出来ず、風景は緑のない荒漠としたものに変わる。また、年間降水量は、400~650mmであるがそのほとんどは7月~9月に降る。一部には黄河の水を汲み上げた大規模な灌漑区が作られているが、山間部では飲み水も天水に頼っている。
 南部山区は回族の人々が多く住む地域で、農業以外の産業がないため住民の暮らしは貧しく、国の特別貧困撲滅対策地域に指定され、特別の支援を受けている。また、山に木がないため、ひとたび雨が降ると表土の流出が激しく、国の水土流出対策地域でもある。
 私たちは、8月中旬この西海固地区を3日間、駆け足で視察した。特に印象に残ったのは、彭陽県の貧困対策と生態回復の取り組みである。
 彭陽県は、1983年に固原県から分離独立した県で、面積2,528km2(うち耕地面積1,400km2)、人口25.2万人(うち農業人口23.3万人、回族人口7.3万人)、3鎮9郷156村で構成されている。分離独立以来彭陽県は、生態建設を第1にし、これを住民の貧困からの脱却のための経済建設と結合させる方針を堅持して県土建設に邁進してきた。
 県や行政機関の幹部は号令するだけではなく自らが責任を持つ「緑化モデル区」を持ち、住民とともに生態回復に取り組む。春と秋の植林時期には、全県の幹部と職員はどんなに忙しくても、2週間の義務整地活動に参加する。
 「頂上には林草の帽子をかぶり、山腹は段々畑の帯を締め、谷にはダムの長靴を履く」。山頂付近には木を植え、山腹は山を取り巻くように高い畦を作って表土の流出を押さえれながら畑を作る。谷にはダムを作って水土の流出を食い止める。
 小流域を生態回復と農林業を中心とする経済建設の単位として一体的に取り組む。等高線に沿って禿山をグルッと取り囲むように作られた幾層もの段々畑の高い畦は、表土の流出も押さえる。生態建設と経済効果の結合である。その畦の長さは地球を2週半するほどもの長さだという。こうして約20年かかって森林被服率を3%から約20%に引き上げ、貧困脱却への道を切り開いた。
膨陽県の実践の大きな特徴の一つは、人もまた環境である、住民の資質の向上がなければ持続可能性はないという考えである。そのため常に生態の改善が生産と生活の改善につながることを実践でわからせ、「やらされる」から「私がやる」に変えてきたことであると県の幹部は語ってくれた。

(2006年12月4日 文責;神田)

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